私は、人々に対して神の御業が働いた話しをよく読んだり、聞いたりしていました。他に説明できない直接的な奇跡に関してです。私は、このような人々は、神にとって特別なのだと思っていました。彼らが普通の人々だと考えるのはとても難しいことでした。神が直接私に奇跡の御業の力を経験させてくださるという、私に対してそのように親切にして下さるとは思ってもいませんでした。
保健法に対して従順であることと、怠惰と不注意さのため、私の免疫システムは非常に弱くなり、私は健康を害しました。 2001 年 12 月のある日、赤い出きものが私の脚に出来ました。感染症がすぐに私の血流に入り、すぐに私の脳とその周辺に到達しました。 12 月 14 日金曜日、私は口から入れたものを全て吐き出していました。翌日に、私の妻は、私をパラワン・アドベンティスト病院に入院させることを決心しました。私達は、塗油のサービスをその日の午後に受けました。しかし、真夜中を過ぎて数時間後、私は既に支離滅裂でした。妻の事が分らず、無意識にコンピューター用語を話していました。私は、トイレに行くために、ベッドから起き上がりました。しかし、起き上がると同時に輸血袋を強く引っ張りすぎてしまったのです。これが、私達が最初に経験した奇跡でした。ブドウ糖が掛かっていた金属製の柱が持ち上がり、柵とベッドの間に倒れました。もう少しベッドの方に倒れていたら、私にぶつかったか、床の上に倒れたかもしれません。妻は、看護婦にカズン医師を呼ぶようにお願いしましたが、翌朝の回診まで待つように言われました。
緊急事態であると察知した彼女は、外に助けを呼ばざるをえませんでした。彼女は、携帯電話を使って、友達にメールを送りました。まもなく友達が助けにやって来ました。カズン医師が、私の部屋に来て、私の容態を診察した時、その日に私をマニラへ送るように妻に勧めました。カズン医師は、私が脳腫瘍か、髄膜炎ではないかと疑っていました。私はマニラの療養所と病院に到着した時、既に昏睡状態でした。翌日、私を診察した医師達は、妻に、髄膜炎からの回復の希望がほとんどないと告げました。奇跡だけが私の命を救えるのです。私が、目を覚ましたとしても、植物状態でしょう。妻は友達や親戚に祈るようにお願いしました。医師達は、多量の抗生物質を摂取するように強く勧めました。高い薬をどうやって支払うのかわからないまま、妻は神の助けを信頼して、承諾しました。数回、誰かが彼女にお金を手渡してくれましたが、それは、その日に必要な薬の費用と同じ額でした。
第4日目、私は目を覚ましました。マニラ療養所と病院に 7 週間居た後、私は退院し、リハビリテーションのために、ライフスタイルセンターに来ました。
私達は、ここでも続けて神の御業を経験しました。神は私達に必要な身体的、感情的、精神的なものを、全て用意してくださいました。私は洗浄プログラムに行きました。鍼治療とバイオザパーと活性炭ハイドロセラピーと熱風呂とマッサージです。少しずつ私の容態は良くなりました。私は、今では援助無しで歩けますし、毎日強くなってきています。
|